2018/07/30 11:17
今の時期一番気になることと言ったらなんでしょうか?
そう、日焼けですよね。毎日の日焼け止めは欠かせません。
現代では技術が進歩し、様々な種類の日焼け止めがあります。
最近は飲むタイプの日焼け止めなんかもありますよね。
江戸時代、今よりも技術が進歩していなかった頃はどのようにして日焼け対策をしていたのでしょうか。
そもそも日焼けを気にしていたのでしょうか?
結論から言うと、江戸時代の女性も日焼けを気にしていました。
「色白は七難隠す」と言われていた時代、日焼けは女性にとって大敵でした。
というのも、江戸時代の中期以降から、江戸の町でも文化が花開き、レジャーも盛んになっていきました。
レジャーといっても、お花見をしたり、鎌倉や江の島へ出かけたり、潮干狩りや花火を見たりしていたようです。
現代のようにTVやスマホがあるわけではないので、それらが一大イベントでした。
そういったものを楽しむときに最高位の遊女である花魁や、武家や公家の上流階級の女性たちは、
屋外でのレジャーを楽しむ際に「日に焼けては大変」とばかりに日傘をさしていました。当時の女性たちも日焼けを気にしていたんですね。
その証拠に、当時の女性たちのバイブルである『都風俗化粧伝』には10種類以上の美白方法が記載してあります。
そのうちの一つを取り上げたいと思います。
「○色を白うし光沢を出だす薬の伝
・みつだそう 細かに粉にし、水を少し入れ、湯煎にし、毎夜顔にぬり、明朝洗い去るべし。半月ののち、色白玉の如し。」
密陀僧(みつだそう)とは古代から壁画などに使われた顔料の黄色みがかった薄い茶色のことですが、
原料は一酸化鉛です。毒性が強く、現代ではあまり使用されていません。
『都風俗化粧伝』によれば、この方法は楊貴妃も使ったとされています。色白もなかなか命がけでした…
ちなみに、江戸時代にも上記のように日焼け対策という概念はあったのですが、
きちんと言葉にして世間の人々が認識し始めたのは明治時代になってからでした。
当時出版された『美顔法』という本では、
日焼け対策やアフターケアとして新鮮なきゅうりを浸した牛乳で洗顔するなどの方法が紹介されていました。
江戸時代の女性に負けないように、私たちもきちんと日焼け対策していきましょう!
知りたい情報やお悩みあれば、SNSからご連絡ください。
Instagram・Facebookで「キツネノチエ」と検索でご連絡頂けます!